愛してる   鷺沢萌

「愛してる」
あぁ、最後の最後にこれを伝えたくて、それまでの長い前置きがあったのだなと思った。この「愛してる」の感覚は、私の中にあるそれとほとんど同じ感覚だった。
たとえば、なんでもない昼下がりにしばらく会っていなかった男友達と偶然出会って、せっかくだからとランチをしながらお互いの近況を話したりする。そんなとき、鷺沢萌の紡ぎ出した2人の会話の節々には、コップに溢れんばかりに注がれた水のように愛が満ちている。その2人の間にある人間としての愛しさが、不思議と伝わってくる。
そして別れ際に私は「愛してる?」と言った。それはどうしようもなく溢れ出た言葉だ。私から、愛が溢れた瞬間だ。
彼女は、ゲロの匂いのするファッサード(飲み屋)に集まる仲間達を、痛みを抱えながら生きる仲間達を、愛していた。


私も愛したい。私が支え、私を支えてくれている人たちを、ずっとずっと愛していたい。


鷺沢萌はこの小説を、21歳から2年にかけて書いた。伝えたいことの芯を言葉にするのではなくて、いくつもの脆い柱がそれを支えていた。そんな小説だ。彼女がこの若さでこの小説を完成させたことに驚きながらも、この年でなければ書けなかったのかもしれないとも思った。
鷺沢萌の小説を読むたびに、彼女が死を選んだ理由を考える。私のわりと身近な人が、先日首を吊った。相手を100%理解するなんてことは無理だとわかっている。でも愛が人を救えなかったら絶望じゃないか。
今まで自殺を否定しないできた。それは私にもそういう思いがあったから。でも、身近な人間がそうして亡くなって、私は自殺を肯定するのを止めようと思った。