沖縄 空白の一年 1945-1946   川平成雄


これはただ、私が覚えておくために書きます。




沖縄に「戦後」はあるのか。



1944年。
7月 7日 サイパン陥落。
8月22日 慶良間列島沖にて疎開船撃沈。
10月10日 奄美以南、南西諸島全域空襲。


1945年。
3月25日 米軍、慶良間諸島に艦砲射撃、上陸。
4月 1日 沖縄本島中部西海岸、読谷山・北谷上陸。


まず、日本軍及び本土の人々にとっての終戦日と、沖縄の住民にとっての沖縄戦終結は同じではない。
沖縄には終戦の記念日が多々ある。


6月23日 第三二軍牛島満司令官の自決日。軍組織的抵抗の終結。「沖縄県慰霊の日」となる。(戦闘は続く)
8月15日 ポツダム宣言受諾。無条件降伏。天皇、戦争終結詔書を放送。第二次世界大戦終結。(沖縄での戦闘は完全な終結ではなく、各地で戦闘は続く)
9月 2日 日本降伏調印(東京湾米戦艦ミズーリ号甲板上にて)。
9月 7日 米軍司令官スティルウェルとの降伏文書調印(現嘉手納基地内にて)。沖縄戦の事実上の終結。「沖縄市民平和の日」となる。


この中で最有力なのは9月7日である。実際9月7日までは、各地で戦闘が続いていた。



しかし、沖縄の住民にとっての戦争終結は、各個人が捕虜になったその日である。つまり、本島上陸の4月1日に捕虜になった住民にとっては、その日が戦後の始まりなのである。また、終戦も知らず十月頃まで山中をさ迷っていた人も然り。










沖縄が米軍及び基地を受け入れざるを得なかったのは、様々な理由がある。
強制的な占領統治はもとより、沖縄の戦後復興は米軍と沖縄住民によるもので、当然日本本土政府の介入は皆無であったこと。
日本軍は住民の土地・食料を奪い捕虜になることを認めず自決を強要し銃や注射での殺人をしたが、米軍は住民を収容すると衣食住を与えた。これは沖縄住民の心に、「日本軍は奪ったが、米軍は与えた」という思いを抱かせた。
4月1日の本島上陸後、戦闘が続くわずか1ヵ月後の5月7日には収容所内にて学校が設立されていたことに驚く。
それにも様々な意図があったが、米軍は教育や強制的な労働により、収容所内の秩序を保つと同時に戦闘に協力させていた。その用意周到な計画。
用意周到な計画。
それはまさに沖縄の基地計画にも言える。



「沖縄の(日本本土からの)分離・占領は、形の上では「日本の敗戦の結果」のように見える。しかし実際はそのはるか以前の1943年頃から計画立案され、沖縄戦の開始と同時に実施された」という考えがある。
沖縄は「アメリカのアジア・太平洋地域における戦略構想」のキーストーンなのである。
1958年に統合参謀本部から国防長官宛の「沖縄の戦略的重要性」に、アメリカの考えが要約されていると思うので、長文だが書いておく。


「合衆国を最終的に防衛するために必要なことは、合衆国が太平洋上の戦略支配を維持する能力を持つことです。太平洋を効果的に支配するためには、合衆国軍隊が防衛の面でも攻撃の面でも、完全な利用を容易にするための戦力的基地が必要です。合衆国は琉球列島に主要な基地をいくつももっており、それは緊急に際して即時に拡張が可能で、外部の主権国家からの政治的配慮にはまったく左右されません。世界規模の戦争、あるいは拡大する戦争が起こった際には、ソ連、中国、または極東その他の共産主義勢力に対して、原子兵器を含めて攻撃を開始する必要があるが、その際合衆国がこの(沖縄の)戦略的に置かれた基地から短縮なしに作戦を実行することが、何より不可欠である。・・・・・・統合参謀本部は、軍事基地としての沖縄の重要性はこれからも続くと再度断言します。沖縄は、日本を立ち入らせないで、合衆国の支配下に置いておくべきです。」


沖縄を愚弄しているとしか思えない文書。



しかし沖縄がこれほど基地の島になってしまった責任は、当然日本本国にもある。
まず、昭和天皇による沖縄の二度の「切り捨て」「切り離し」である。
一度目の切り捨ては、天皇の判断によって沖縄戦を回避することができたのにそれをしなかったこと。二度目の切り捨ては、日本を共産圏から防御してもらう見返りに沖縄をアメリカに売り渡したこと、加えて沖縄を日本から分離することによって戦後日本経済の復興をはかること。であった。
冷戦の開始、中華人民共和国の成立、朝鮮戦争の勃発、ベトナム戦争。日本がそれらの恩恵を受け戦後復興に沸く中、沖縄では新たな基地建設のための土地接収が強制されていた。
銃剣を突きつけられ、ある日突然、住民の目の前で、畑や家屋がブルドーザーで潰されていく。収容所から帰村が許され、ようやくあらたな生活を始めようとした矢先である。




沖縄の基地は無くならない。
この本を読んでそう思った。
アメリカもそして日本も、恒久的に沖縄に基地を置くことを望んでいるのだ。
すべては平和のためではなく、保身のために。
アメリカ本国を守るための太平洋戦略。
その恩恵を賜る日本。
中国・ロシア・北朝鮮・インド・インドネシア・そしてアメリカから、日本は沖縄を捨石にして身を守っている。
琉球王国の終わりから、日本は常に沖縄を支配しいいように利用し、都合よく切り離して考えてきた。
現在の私たちの目にも、沖縄の上辺だけしか映らない。私たちはもっと深く強く見て、感じなければならない。






沖縄の悲しみ。
沖縄の痛み。
沖縄の祈り。
沖縄の美らさ。
沖縄の優しさ。
沖縄の力。







沖縄に「戦後」はない。
日本にある米軍基地の74.3%を、この小さな島が背負っている。
私の心にはいつも、誰も立ち入ることのできない、珊瑚で囲まれた小さな美しい射撃場の島がある。
この小さな小さな私も沖縄を愛しているからこそ思わずにはいられない。
「基地がある故の苦悩」から人々を解放してほしい。
沖縄が本当に沖縄の人たちのものになる日が来ることを、
沖縄の力が果てる前にそれが叶うことを、
心の底から、
願っている。




沖縄 空白の一年―一九四五‐一九四六

沖縄 空白の一年―一九四五‐一九四六