「風景」


待つものはこないだろう
こないものを誰が待とう


と言いながら
こないゆえに待っている


あなたと呼ぶには遠すぎる
もう後姿も見せてはいない人が
水平線のむこうから
潮のようによせてくる


よせてきても
けっして私をぬらさない
はるか下の方の波打際に
もどかしくたゆたうばかり


私は小高い山の中腹で
砂のように乾き
まぶたにかげる
海の景色に明け暮れる。


石垣りん




短大生だった頃、大好きだった先生にプレゼントされた詩だ。
好きというのは尊敬というか、話していてとても心地よかったという意味で。
それは「私に」と渡されたのか、たまたま授業の課題としてあったから手渡しただけなのか覚えていないけれど、私はこの詩がプリントされた紙を、今も大事に持っている。
多分先生のことだから、ある程度は「私に」と渡したのだと思う。

先生は、私に沖縄に旅に行くきっかけを与えてくれた人だし、先生がいなかったら、これほど旅が好きにはならなかっただろう。
よく先生の部屋に遊びに行って、いろんなことを話した。
あんな時間はもう戻らないんだなぁ、と、時々思う。
今もいろんなことを話したいし、相談したいし、あと数年で退職する前にあの部屋に行ってみたい。
天井までびっしり本が詰め込まれた棚に囲まれて、本や資料で埋もれている机の前のパイプ椅子に座りたい。





この詩は、どうしてか私の心に残り、もう暗記してしまうほどだ。
そして時々声に出してみる。




待つものはこないだろう
こないものを誰が待とう


と言いながら
こないゆえに待っている